星野メトメの本棚

詩とか小説とか勉強研究とかをこの本棚に置いときます。存在を知ってくれただけでも本当に嬉しいです。

透明の迷子病 -個性の力-

僕はある人と話していました。

その人はとても悩んでいました。自分が何者かわからないということに。

 

その人にとっては周囲の人間と自分が明らかに異なっているように見えている様子で、何か精神的な病名を診断されてもいいから、自分のことを知りたかったようです。

 

僕はそこで個性というものについて長々と語りかけました。彼にとって僕はウザかっただろうけど、僕にはそれぐらいしか語りかける言葉が思いつかなかったのです。

 

 

 

今は科学主義の時代です。時代は合理性を求め、1つの最善策、最短経路を計算で求める試みが世界を創り直しています。

 

これは僕の勝手な推測ですが、この世の最大の謎とはその全てが、「宇宙」か「心」に起因します。

 

宇宙に関する研究は困難を極めますが、それと同じほど心に関する研究も困難を極めます。どちらもスケールが大きすぎるのです。

 

つまり人間の関心ベクトルは始点を人間自身だとすると、終点は宇宙と心の真逆の二方向に向いているのです。

 

科学主義の現代においては宇宙に意識が向きがちかもしれませんが、それはあくまで表層意識の話しで、無意識では心にも関心は向いているはずです。

 

その事実を決定づけるのが精神疾患研究の発展で、心に魅せられる人間も同時に増えているように感じます。

 

しかし、この現象は、誰もが患う「合理と非合理」「自然と人間」「科学と魔術」といった対立構造の中で、自分の立場がわからなくなる病気のようなものを引き起こしているのではないのでしょうか。

僕はこれを「透明の迷子病」と名付けます。

 

「世界は合理的にできているの!数式で表せるの!すごい!宇宙すごい!やばい!・・・でも僕の心は?僕の心も数式で表せるの?僕は僕じゃなくてただの動物なの。死んだら腐るの。土に還るの。それで終わり?じゃあなんで生きているの?なんで働くの?僕が僕じゃないなら、今ここにいるのも僕じゃなくていいよね。だって、最初から『個性』なんてないんでしょ。科学さん」

 

わかりやすく、病んでる人っぽく書いてみました💃

 

でもわかりませんか。自分に個性がなかったら怖くありませんか。

「君は月川くんではない。ただの人間だよ」

こんなこと言われたらすごく嫌な気分になります。

 

これが「透明の迷子病」、冒頭で話した悩める彼が陥っているのはこの病なのではないかと考えたのです。(実際には何か正式な精神的な病を持っているのかも知れませんが、僕にはそれがわからない。でも彼は病的に何かに悩み、怯えていた。だから僕が勝手に病気にしました)

 

もちろんこの「透明の迷子病」のようなものは誰もが少しはもっています。でも、悩みすぎて追い詰められて自殺しようとするのは病気としか言えません。

発達障害のあり方と少し似ているかもしれません。

 

これを見た人は、勝手に病気にするのは酷いと思うかもしれません。

でもそれはあなたが正常だからそう思うのです。

 

「透明の迷子病」になったら自分がどこにいるのか、自分が何者なのか、個性、自分らしさ、を知りたくなるはずです。

そしてここでいう個性には当然ながら「病名」も含まれます。

 

だって自分がわかるんですから。

無意識で病気になりたがっている人は一定数いると思います。

 

僕自身、医者から診断書を貰って双極性障害と下された時、は?と思う気持ちと、なるほど!と思う気持ちが両立していた気がしないでもないです。

 

彼は自分があまりにも平均的すぎて悩んでいました。

特徴がない、個性がない、全部50点、僕はつまらない人間だ、と。

 

でも、おそらく誰もが自分の平面座標(表面的な自分)と空間座標(裏面的な自分)を知りたがって自己実現に向かおうとしている中で、平均的すぎる彼、言ってしまえば座標の原点にいるような彼は、無個性ではありません。むしろ誰よりも個性的です。怖いくらい

 

彼が「自分がわからない」というのは当たり前です。だって自分自身が基準点にいるのですから

 

というわけで、彼のような自分がわからなくて悩み思いつめている人間に「透明の迷子病」という診断をただのうつ病の学生ながら与えます。偉そうにも

 

病名は自分の位置を教えてくれるのですから

 

そして個性がみえた人間にとって、その病気は良気になるのです。

 

 

では以上です。

 

もし彼が見ていたら、自殺なんてしないでください。

僕だって自殺すれば楽なことくらいわかっていますが、入院して立ち向かっています。

 

だからよ、止まるんじゃねえぞ…