星野メトメの本棚

詩とか小説とか勉強研究とかをこの本棚に置いときます。存在を知ってくれただけでも本当に嬉しいです。

心と身体に棲む怪物

心臓に難病を背負った方(なぜ今も生きていられるのか不思議らしいほどの重症)とお話する機会があり、少し面白い話ができたので、紹介したいと思います。

難病の方以下Mさん

 

なお都合上少し改変しています。

 

Mさん「病気アピールまじで無理って言ってる人はさっさと病気になってみるといいよ」

 

Mさんのこの発言に僕が突っ込んでから話が始まります。

 

僕「難病のMさんにこれいうと不快にさせるかもしれないけど、病気って自分の個性だと思って付き合っていかないと厳しくないですか?

僕もネットで病気アピールするけど、それは病気を患った僕も僕だから、学歴アピールやイケメンアピールするみたいな感じで、何気なしに病気のこと発言してしまいます」


Mさん「自分も病気は個性って考えてた時はあります。

けれども、「個性」ではなく「障害」という考えに至ったんです。

病気に生活を妨げられてるのですから。病気ツイートは悪くはないと思いますし、それこそ「個性」だと感じます」

 

僕「そこは器質的な病気と、精神的な病気のちがいかもしれませんね。

精神的な病気は個性と捉えやすいけど、身体の異常は確かに個性と捉えるのは難しいと思います」


Mさん「確かにそれはあるかもしれないです。

でも自分の心臓奇形がなかったら自分じゃないような気がしてきて、本当は個性だったりするのかもしれないですね」

 

ここで話は終わりました。

とても興味深い内容でした。

 

精神的な病というのは、いわば心にべっとりと張り付いたガンのようなもので、目に見えなく、正体が掴めない。

見えない存在が体の中の奥深くに棲みついているなら、ある程度その怪物と生きていけないといけません。

 

 これが僕が自分の双極性障害を個性だと捉えた理由です。

 

 

しかし器質的な病、言ってしまえば怪物の姿が見えているような病気だったらどうでしょう。

自分と怪物は完全に切り離されています。

そんな怪物を個性だと考えるのは難しいですよね。仕方なく怪物と同棲生活しなくてはなりません。

 

もしかしたら、精神的な病は怪物を自分と同一化して、自分自身の一部として捕えなければならなく、

器質的な病は、もはやただの異常、勝手に部屋に入り込んできた身勝手で邪魔な怪物、言い換えれば迷惑な同居人として捉えられるのかも知れません。

 

 

しかしMさんは最後にこう言いました。

 

ーでも自分の心臓奇形がなかったら自分じゃないような気がしてきて、本当は個性だったりするのかもしれないですね

 

あまりにも長い間、迷惑な同居人と暮らしているMさんは、慣れすぎてしまったのしれません。

これがいいことなのか悪いことなのかわからないですが、体の中に怪物が住んでいる僕もMさんも、何をしても逃げ出さないその怪物に諦め、開き直り、一緒に歩む決意をしている、僕はそう考えました。

 

怪物が死ぬのが先か、僕達が死ぬのが先か、毎日は闘いなのです。

 

では以上です。

 

眠い。ほぼ徹夜です。躁状態で眠れません。文章もおかしくなってたらすみません

ではノシ