創作︰素粒子の幽霊 -後編-
次に、と思う。世界もわかれば宇宙もわかる今なら、自分は月から見た地球とやらを意識したい。途方もない太陽系よりも途方ない宇宙のことはあまり興味がない。もうわかってしまっているからだ。しかし意識するかどうかは違う。思念は景色を写す。だから今から、景色としての地球を眺望する。
それは、まあ、確かに青い。そうだな、確かに美しい。自然が創り上げた一つの芸術品にしてはあまりにも出来すぎている、と言いたくなるほど美しい。と同時に、溜息を吐く思いで溢れる。毎日毎日家と会社の往復をしていた自分の身体が、四畳半を徘徊する精神病者に思えた。身体こそ粒子を留めていたにもかかわらず、身体までも環境に留められていた。束縛されていることに気づかず、生きるためと必死になっていた自分のことをどれ程の幽霊たちが嘲笑っただろうか。わかる。わかるさ。嘲笑うため、もしくは親切にも伝えようとするため下界を意識し、それが粒子の揺らぎとして偶然観測されてしまう幽霊の気持ちが。そんなことをする捻くれ者の気持ちが。おそらくそいつらも、同じように地球を見ているのかもしれないな。ちょうど今も。
そうだよな。
「ですね」
青二才が云う。
「地球は綺麗だな」
語りかける。
「地球を見ようと意識した人間はみんなそう言います。そして生を憂います」
まさに自分のことだ。
「生を憂う。しかし今に歓喜しない。それはなぜだろうか?」
わざとらしく問う。
「簡単なことですよ。ここは地獄ですから」
やはり青二才、訳の分からんことを云う。
「地獄か、そうか。じゃあ天国はどこだろうな」
「地獄の存在にはわかりません。多分、良いところなんでしょう。にしても、あなたはどうして地球を見ようとしたのですか」
「そんなの決まっている。知りたかったからだ」
「なんで知ろうとしたのですか」
意味がわからない問答。意味があるかわからない問答。退屈だからと、禅問答のつもりでそれを受ける。
「自分がこの世を意識したとき、全てを知った。いや、全てではなかった。わからないこともあった。自分がこれから何を意識すればいいのか、なんのために意識すればいのか。意識だけが残された粒子の死人の生き様、それだけはわからなかった。そうして路頭に迷ったから、地に足をつけたくて地球を見下ろしたんだ」
「そうですか。地球を見て何かわかりましたか」
「わかったのは地球は美しいってことと、生きていた頃の自分は馬鹿だったってことぐらいだ。そのぐらいしかわからなかっただろう、君も」
「本当にそれだけですか」
急遽禅問答は議論の様相を呈す。
「それだけだが」
「あなたはまだわかっていない」
そして、議論は反転する。
「何をわかっていないんだ」
「あなたと僕とここのことです」
意識して、理解したはずだ。この青二才は何を云う。
「どういうことだ」
「あなたはギニアピックに捕まりましたね。所詮あの実験動物は数十年前に殺されたに過ぎない。僕は何千年もここを彷徨っています。そのぐらいここにいるとわかるんですよ。もっと奥深いことが」
何千年という年月の示すところに畏怖する。何千年といっても、ここに時間の概念はなく何千年もここにいたわけではない。何千年も前に死んだという事実があるだけだ。ただそれだけのはずなのに、なぜか恐ろしい。
「その奥深いものを教えてくれ」
「さっきあなたはこう言いました。自分がこれから何を意識すればいいのか、なんのために意識すればいのか。意識だけが残された粒子の死人の生き様、それだけはわからなかった、と。その通りなんですよ。ここにいくらいたって死人の生き様はわからないし、輪廻転生する訳でもないし、こうして地球を眺めるようなことくらいしかすることが無いんです。そんなここのことを生きている人が知ったらなんて言いますかね。意識することしか許されないのに、意識する目的が何も無いここのことを」
言葉に詰まる。
「地獄ですよ」
恐れ慄いた自分に恐怖の雨が降り注ぐ。逃げ場はない。冷たくなった身体をさらに冷やす事実から逃れることは出来なかった。ここに空間はない。雨雲を意識してしまえば雨雲は晴れない。
「ここが地獄だと」
「そうです」
簡素な肯定。
「じゃあ天国はどこだ」
「さっき言いましたよね。地獄の存在にはわからないと。でも多分、天国なんてないですよ。ここに来てもわからないということは、多分そういうことなのかと」
誤ちを犯していた。青二才はどっちだ、自問自答する。ここのことを、世界のことを知ったつもりになった自分を恥じて。
「おかしくないか、地獄があれば天国はある。そういう対立構造だろう」
「だから僕は生きている人間が知ったらと前置きしたんです。そうでないと他に表現する言葉が思いつきませんから。この世界は死んだものの粒子で出来ています。それは死んだものの意識で出来ていると同意です。意識に満ちた世界、それがここなんですよ。死んだら身体を失います。そうして拘束が解けた素粒子は世界に馴染んでここを作ります。その素粒子のことを人は霊魂なんて言いますね。入れ物の亡くなった霊魂には何もすることができません。意識することを除いて。意識は素粒子の意識ですから。身体を持って物体に干渉できることがどれほど幸せなことかわかりましたか。あえて天国がどこかというなら、私たちが生きていたあの地球ですよ。だから僕はこうしてずっと地球を眺め、時折覗くんです」
自分という存在の素粒子が意識の素となっていた、それは死んでわかっていたことだ。しかし、自分という素粒子がどんな立場に今いるのか、それはわからなかったことだ。身体があったことを憂いた先程までの自分を憂う。物体として存在すること、在る意味を持っているということ、それが幸福だと気づかなかった自分は顔なしの阿呆だ。死とはすなわち物理的な終わりであって、意識は続く。意識は続けど、意識することしかできない。時空の干渉しえない意識。自由を超えた自由の先には、無限に続く平原が広がっていた。この平原を歩くしかない。ただひたすら歩くしかない。止まったっていいが、どうせ歩く。青二才と罵った青年のように。
「長考しましたね。理解しましたか?あなたのこと、僕のこと、そしてここのことを」
「ああ、理解した」
「ようこそ、地獄へ」
意識の無限地獄、ここはそう言うべきところだったのか。それがここの本質ではないにしろ、地獄という意味を持つ。
「でも地獄といっても人間が想像するほど苦しみしかないわけではありませんよ」
「どういうことだ」
「死んでも遺された人達を見守り続けられる。そういう意味では地獄というより天上界ですかね」
「そうか」
意識することしか許されないここでも地上のことはわかる。このわかるという救いが残されていた。
「君はずっと地球をみて、地上のことをわかろうとしてるのか」
「そうです。一緒にどうですか」
「そうだな、ご一緒させてもらおう」
青年と月面に寝そべる、ような気持ちで天国を眺める。妻や子供、友人のことを見守りながら。
そして想う。これが死ぬということか。これが素粒子になるということか。見守ることだけが許された、意識のみを持つ素粒子の幽霊、それが俺さ。