心身問題の哲学史 ~19世紀
今日から、心の哲学、または相対論の哲学に焦点を当てて記事を書きたいと思います。
心身問題を扱うにあたってまずはそれを巡る哲学史をおさらいします。以下
心身問題(mind-body problem)とは、不可視の心と可視の身体との関係を哲学的に問う問題です。
その起源は紀元前に遡るほど問題意識されてきた問いですが、プラトンとデカルトが転換点となると言えます。
プラトンについて
心と身体を分離する思想を最初に打ち立てました。霊魂は身体を支配する、そして死後も霊魂は存在し続けると主張しました。
その後、アウグスティヌスらがプラトンの思想の細部を議論を展開して埋めて行ったのです。
ここから一気に飛んで17世紀。プラトンの思想以後、大きな転換はなかなか訪れませんでした。それは(私たちからみたら)超自然的な思想、神秘的な態度が霧のように薄く、しかし確かに蔓延していたからといえます。一種の風潮に染まり、心身に関して確かな姿勢を持っていたともいえます。
そんな時代背景の霧が17世紀に払われました。霧払いの手は科学の進歩です。代表されるのは、古典物理学の礎を築いたニュートンの『プリンキピア』。これも17世紀に出版されたものなのです。
その時代に生き、心身問題に一石を投じたのがルネ・デカルト。プラトンの次の転換点です。
ルネ・デカルトについて
デカルトは17世紀の科学的知見を背景に、物体と心的なものとの直接的な相互干渉を排して、両者を独立なものとし、分離しました。これが物心二元論です。
プラトン同様に心と身体を分離したわけですが、なぜデカルトが転換点になるかというと、一つに、その分離が物体のみで完結するニュートン的近代物理学の成立の可能性を約束するものだったからです。実際にその後、近代物理学は成立し発展していきました。
他方で、デカルトは大きな問題を残しました。心身の相関は自明のもののはずが、それを分離して人々を混乱させたことです。意志を持って人は行動に移る。そんな当たり前のことが否定されてしまったからです。
この問題が以後の心身問題の哲学の発展を促しました。バラダイムの転換と言われる所以です。
しかし聡明なデカルトはこの問題に自分自身気づいており、松果腺説という解決策を提案しましたが、これは後に大脳生理学によって否定されています。
否定こそされど、精神と心が脳にあるという先見性はその後の心の哲学に影響を与えたという点で評価されています。
デカルト以後、二元論の研究と批判、すなわち心身は相関するのかという問いに基づいた方向で心の哲学は進展していきました。大きく3つの説があります。
①相互作用説
心と身体とは互いに相互作用を行うことができるという説。デカルトは心身の「直接的な」「相互交渉」を否定しましたが、「因果的な」「相互作用」という立場をとっていたので、デカルトの物心二元論の研究と発展として生まれた説です。
②随伴現象説
心的現象は物的現象に随伴して生起する現象であるとみる説。これはハクスリーが有名です。心的現象を物的現象の随伴とみなすことで、心的現象を物的現象に内包しました。心と身体に相互作用はなく、ただ随伴するのみなのです。
③平行説
心と身体の間には平行関係があるのみだとする説。この説はライプニッツが有名です。心は心、身体は身体とのみ相互作用し、心と身体が相互作用しているようにみえるのは、予定調和によるみかけの作用にすぎないというものです。
難しいですが、デカルト以後は以上の3種に大別されます。
しかしこの時期は近代科学の急速な発展とともにあり、心身問題も唯物論に傾きます。それは、人間機械論まで打ち出されるほどに。
この後は科学の発展とともに人間機械論を推し進める形で心身問題は発展していきました。
と同時に、大脳現象を原因として心の現象が結果として起きるという随伴現象説が唯一の解決法とみなされるに至りました。
随伴現象説を補強する発想としては、20世紀中葉、ノーバート・ウィーナーのサイバネティックスがあります。サイバネティックスは制御工学と通信工学を融合させたもので、生理学をも、すなわち視野を通信と制御というシステムで捉えるなど、人間の精神的活動の機械性を支持しました。