タイムスリップについての草稿
原稿用紙84枚分の小説を3日で書くという個人的な偉業に気分が良いので、草稿を残します。
タイムスリップができたとしよう。僕は過去へ行くことができる。恐竜が好きだから白亜紀にでもいって、友達になれそうなストルティオミムスに会いに行こう。
さあ着きました。
このとき僕の時間軸は過去を示すのか現在を示すのか、僕は恐竜の世界で1人悩む。
確かに過去に来た。でも僕はタイムスリップする前からタイムスリップした後の地点という現在にもいることになる。
どうしたものか、過去にも現在にもいる訳分からない状況に陥ってしまった。
物理学的に考察すると、時間の矢が示すように時間は進むしかない。それでは僕は現在にいることになる。
つまり過去の世界に<現在>いるということだ。
世界には過去と現在があるが(未来は普遍的決定論の話に移りそうなので今は避ける)世界は一つしかないから、過去の世界と現在の世界の両方に存在することはできない。
しかしタイムスリップできるほどの技術を持っている時代だ。一概にそうとは言えないかもしれない。
もう少しタイムスリップについて考察を巡らすと、相対論から時間の逆行は不可能と結論づけがまずされる。
高速で移動すると相対的に時間が遅くなるが、高速が光速に達したとき、時間の進みは0になる。特殊相対性理論からの導きだ。
しかし、光速を超えることはできないとも数式的に導き出されている。
最近、東京大学の研究グループが量子力学から熱力学第二法則の導出に成功したと一部で話題になっているが、これについて量子力学に詳しい友人に聞いてみたところ、永久機関が不可能とされる熱力学第二法則が量子力学によって導き出されたところが面白い、と言っていた。
永久機関は見方を変えると、過去と現在を行き来することで燃料を消費しない機関、と言えないだろうか。(横暴か?)だとすると時間の逆行が不可能なことが際立つ。
それじゃあそもそもタイムスリップは不可能ということになる。
この結論を哲学的に考察してみる。
タイムスリップはそもそも時間の逆行なのか?過去の世界と現在の世界が相容れないとして、僕が白亜紀にタイムスリップしたとき、その時間軸は現在となろう。それは時間とは今の連続だと考えられるからである。過去に立つことはできない。今いる時間から見た後ろに過去があるからだ。
これは以前時の流れについて考察した記事https://chili-jgn.hatenablog.com/entry/2019/08/04/%E6%99%82%E3%81%8C%E3%80%8C%E6%B5%81%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF-%E7%A7%81%E3%81%A8%E6%99%82-で、単視点的世界了解(独今論)として説明した。
時間が現在の連続なら、タイムスリップは時間の逆行というよりは時間の矢に従ったただの地点移動だと考えられないだろうか。そういう意味ではテレポーテーションに近いかもしれない。
また、複視点的世界了解を持ち出したら、今度は「態度の違い」「見方の違い」となり、時間の逆行という仮にも物理的な現象から遠ざかることになる。
どういうときに時間は逆行するのだろうか。
おそらくそれは、時間軸の移動でしかありえない。それは多世界解釈であり、シュタインズ・ゲート風に言うなら世界線の移動だ。
電車の路線が変わると行き先が異なるように、世界線が移動するとき、軸と軸の狭間ができ、世界の行き先も変わる。そのときにできる狭間こそ時間の逆行を可能にする。
つまりはタイムマシンを作るには世界の移動が必要だということになる。
多世界解釈については、マルチバース宇宙論という新しい宇宙論が詳しく説明してくれているので、いつかの記事で紹介しようと思う。